No.010 <心の宝珠>
そんな時、私は観音さまが手に持たれている〈如意宝珠〉のことを思い浮かべます。如意宝珠とは、願いごとが、そのままに叶えられる宝の珠という意味です。そんな珠が実際にあったら、どんなに素晴らしいだろうなと思います。でも、もしそれ を手に入れたら、信仰心はなくなるのではないかとも考えるのです。
坂村真民さんの〈ねがい〉という詩をご紹介しましょう。
「救世観音さま/あなたが両手で/しっかとお持ちになっておられるのは/なんでしょうか/美しい珠でしょうか/それとも/おいしい握り御飯でしょうか/いまのわたしには/何かそんな食べるものの方が/強く思われて/朝夕あなたのお姿を拝んでおります/救世観音さま/わたしが亡くなりましたあとも/この三人の子供たちに/あなたの温かい/おん手のおにぎりを/恵み与えて下さい/どんな生き死にの/苦しい目にあっても/母と子が飢えずにゆく/一握りの/貴い糧を/分かち与えて下さい」真民さんがこの詩を詠んだのは、戦後まもない頃、頼るべき人もいない四国の片田舎で職を求めていた時だそうです。仏教詩人として名高い真民さんでさえ飢えの苦しみの中からは、一握りの御飯を求めました。観音さまの如意宝珠が温かいおにぎりに見えたのです。誰が、それを責めることができましょう。いえ仏教詩人なればこそ、こんなにも素直に、自分の苦しみを訴えることができたともいえます。「私が死んでも残された妻と子に一握りの貴い糧をお与え下さい」と手を合わせる祈りの中に無限のやさしさを感じます。 同じ頃、発表した詩の中に「かなしみは/みんな書いてはならない/かなしみは/みんな話してはならない/かなしみは/わたしたちを強くする根/かなしみは/わたしたちを支えている幹/かなしみは/わたしたちを美しくする花」という言 葉があります。
真民さんは、苦しみの中から如意宝珠を磨きだした人だと思うのです。
(M)











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